「音楽を表現する」ということ
「音楽を表現する」ということ_b0038294_167448.jpg

フィギュアスケートの演技構成点評価に「音楽との調和」という項目がある。その曲の特徴やテーマ、リズムなどを表現できているか、ということだと思うのだけれど、これはわかるようでわからない、考え出すと難しいものである。
「曲と調和させる」「音楽を表現する」とはどういうことだろう?



一番選手にとって演じやすく、かつジャッジや観客にも分かりやすいのは有名なオペラや劇、映画などの曲を使うことだろう。
そのような曲には毎年人気が集まり、シーズンが始まってみると同じ曲を複数の選手が採用していた、というのも珍しい話ではない。今シーズンは中野友加里選手と安藤美姫選手がバレエの名作「ジゼル」で曲がかぶる、ということもあった(安藤選手はグランプリファイナルから曲を変更)。
誰でも知っている曲なら演じる側もイメージしやすく、見ているほうもすぐに入っていける。長年にわたり「カルメン」を使用する選手が男女シングルやペア、アイスダンス等種目を問わずとても多いのはそれが理由だと思う。最近は「シェヘラザード」も人気。
それから単純に「音楽に合わせた動きをする」というのもある。
今季浅田真央選手のフリーでのステップはワルツの3拍子をうまく取り入れているし、中野友加里選手も中盤でジゼルのバレエ的な動きを取り入れ、見せ場を作っている。他にもそのような例はたくさんあるだろう。

あとは特徴の強いジャンルの曲を使うことも有効である。曲はそれぞれ違えど、「タンゴ」というジャンルもカルメンと同じくらい多く採用されることの多い音楽である。「カルメン」とタンゴについては毎年誰かしらが滑っているような印象がある。
しかしそれがつまらないかというとそうではなくて、それぞれの選手の個性や取り上げる曲目、パートによって特色が出るので比較するのも楽しい。
次いでフラメンコも特徴がある音楽である。最近ではステファン・ランビエールのフラメンコを取り入れた演技はとても見応えがあった。あの演技は名作としてフィギュアの歴史に名を残すと思う。
それから昨年は高橋大輔選手がフィギュアスケートの試合用プログラムとして初めてヒップホップを採用したのはかなりのインパクトを与えた。動きも上半身がヒップホップ、足元はフィギュアの複雑なステップという高難度かつアピールの強いプログラムで、フィギュアをあまり知らない人からコアなファンまでを熱狂させたのも記憶に新しい。

Daisuke Takahashi 2007 SP "Swan Lake"

動画の年号が2008年になっていますが、フィギュアスケートのシーズンは10月頃から翌年3月までなので、同じシーズンでも年が違っている時があります。これは2007-2008年のシーズンの2008年2月の四大陸選手権での演技です。

また、たとえメジャーではなくてもドラマチックな曲なら表現の方法も明確だし、アピールもしやすいので有利にはなるだろう。曲の盛り上がりが演技をカバーし、演技が曲を更に盛り上げるという相互作用も生まれ、うまくいけば実力以上に良い出来になる(少なくとも見える)という効果が期待できる。
そういう意味で音楽は採点への影響が少なくないので選曲はどの選手もかなり気を遣うところだろうと思うし、そのような曲に人気が集まるのは当然だろう。

ただし、本当の「音楽の表現」においての実力というのは
「自らの演技を曲に溶け込ませつつ、単調な曲に埋没することなく、むしろ曲の魅力を引き出した演技を見せられる」ということだろうと思う。
それぞれ選手には個性があるので一概には言えないかもしれないが、スケーターの実力が試されるのは
「緩急のない静かな曲」、または「一定のリズムに終始する曲」、つまり音楽の力を借りられない曲で滑ることではないだろうか。
今季の浅田真央選手のショートプログラム(SP)とフリーは、実はその両方に挑戦したプログラムなのではないかと思う。

「音楽を表現する」ということ_b0038294_2032041.jpg

SPの「月の光」はピアノ曲として有名。今回はオーケストラ・バージョンを採用しているが、それでもかなり繊細な印象の曲。
この曲をうまく表現しなさい、と言われるとかなり難しそうである。
SPは入れなければならない要素が決まっているのでそれを全て組み込まなければならないし、静かな曲だからといってただゆったり滑っていたのでは間が持たず、間延びした退屈な演技となってしまう。
かといって曲の雰囲気を無視すればチグハグになり、観客やジャッジはついていけなくなるだろう。
今回のSPはそのハードルをうまく飛び越え、繊細な世界を表現することに成功していると思う。
この曲を表現するのには「月の光のある風景」「月光の下の男女」などいろいろな形があると思うが、彼女は「月の光」そのものになっている印象がある。まるで重力を感じさせないような軽やかな滑りである。




Mao Asada 2008 SP “月の光"



そして今回、そういう意味で「技術」とともに「表現」というものに挑戦してきたのが、フリープログラム「仮面舞踏会」であると私は考えている。

彼女の今年の初戦、グランプリシリーズフランス杯で、彼女はショート・フリーともにジャンプの失敗が目立ち、2位にはなったもののシニアに上がってから最低の点数に留まった。
この試合の後、日本のマスコミは大騒ぎだった。特にフリーの楽曲「仮面舞踏会」については評判が悪く、「曲を変えるべきだ」「振付を変えたら」等の声も複数上がった。
だが、私はそうは思わなかった。失敗は多かったが、プログラムは絶対に変えるべきではないと考えていた。ジャンプの失敗を除けば彼女の挑戦する姿勢が見えたし、全くこなしきれていない感じもしなかったからである。
そして「初戦の演技1回でああだこうだ言うのはどうか」と少し腹を立てていた。
シーズン初戦にベストコンディションを持ってくるフィギュアスケート選手なんていないし、それをやったら肝心のファイナルや全日本、ワールドの頃には疲れきってしまう。 そんなこともわからない人がテレビ等でしたり顔に「不調」「失敗」を述べ立てているのも理不尽な気がした。

「音楽を表現する」ということ_b0038294_21402737.jpg
確かに、この曲は今までの彼女のイメージにない曲である。浅田真央といえば最近はノクターンや幻想即興曲など、ショパンの柔らかいイメージが大きいので、違和感はあったと思う。
彼女の今季のフリーが「仮面舞踏会」であると知った時、私自身まだその曲を聞いたことがなかった。
プログラムの詳細は殆ど報道されなかったので、待ちきれずにダウンロードして聞いた時は
「重厚・・・」と思ったし、これを浅田選手が滑ったらどうなるかというのは正直想像できなかった。
しかし実際見てみたら、フランス杯の演技でさえも「これはいける」と思えるものがあった。
最初見た時は失敗が痛々しかったが、不思議と何度も繰り返して見たくなった。
切れ目なく流れる3拍子で、全体的に激しく重厚でありながらも殆ど「盛り上がり」といった箇所のない曲調であるにも拘らず、私に強い印象を残した。映像と音楽が頭から離れないのだ。
確かにかなり高難度のプログラムだけれど彼女はきっと克服できる、きっとこれを完璧に滑りきる日が来る、と私には妙に確信があった。


この演技をきれいに滑りきれたら、何かすごいことが起きるような気がした。浅田真央がフィギュアスケート選手として進化するのはもちろん、女子フィギュアに求められるレベルも一段底上げされるような、大袈裟かもしれないが何か歴史的な変化が生じるのではという予感があった。
彼女は去年も、彼女のSP・通称「ラベンダー」のプログラムにおいて、「ステップ」という要素を今まで単に「入れなければならない要素のひとつ」であったものを「見せ場」に、かつルール変更もあいまって「得点源」になりえることを知らしめたが、それよりももっと全体的な変化が起こるような気にさせられたのだ。

「音楽を表現する」ということ_b0038294_21293269.jpg


そしてNHK杯で、彼女は曲を完全に「もの」にした。
友人の言葉を借りれば「曲に勝った」のである。

浅田選手が「仮面舞踏会」という男性的で重厚な曲を、気高く美しいニーナという女性の運命を表現した曲に変えたように感じた。これこそ曲の魅力を引き出した演技、音楽を表現した演技ということだと思う。
それを暗示するように、NHK杯以降楽曲に対するネガティブな声は一切聞こえなくなった。
「仮面舞踏会」を収録したCDも一般的なクラシックCDの5倍以上を既に売り上げているという。彼女は挑戦に勝利し、見る者にこの重厚な、緊張感の強い旋律と重い三拍子のリズムを魅力的・中毒的なものに変えることに成功したのだと思う。

そして、グランプリファイナルを制してもなお、このプログラムは完全ではないのだ。
まだ3-3のコンビネーションがひとつ入る余地があるし、終盤の3T(トウループ)もルッツにするつもりなのだという。全てが揃った時、音楽との調和は更に力を増すことだろう。
その瞬間を一番早く見るチャンスは、25日からの全日本選手権。楽しみに待ちたいと思う。

浅田真央 2008年フリー「仮面舞踏会」

浅田選手の「音を拾う」技術は、特に海外で高く評価されています。
細かい音に合わせて振付をこなすのは流れのある中では難しいですが、彼女は小さい頃からその能力は抜きん出ていたそうです。
先日のグランプリファイナルのフリーでは、British Eurosportの解説者に「ジャンプの時でさえ、音楽に合わせて踊っている」とコメントされていました。


挑戦を貫いた「2位」の価値-グランプリシリーズ フランス大会 2008年11月16日

Takahiko Kozuka 2008 Skate America SP “Take 5”

今季の小塚崇彦選手のSP。
この曲は有名ですが、5拍子が延々続きアレンジもシンプルなので、演技の質が高くないと退屈なものになってしまいます。彼はその高いジャンプと質の良いスケーティングで見事に曲の魅力を引き出していますね。中盤のステップはリズムのみの演奏ながら充分に見せ場として成立させています。お見事。


Stéphane Lambiel - “Poeta" Stars sur glace - Bercy 2007

ステファン・ランビエールのフラメンコの演技。
これは曲と演技の相乗効果が最高に結実した良い例だと思います。そしてフラメンコという有名なダンスジャンルをうまく活かし、男性的でキレのある演技になっていますね。振付にフラメンコダンサーが参加しているとのことです。
最後のステップからスピンまでの盛り上がりが最高。フランスのアイスショーの映像です。


Daisuke Takahashi 2006 MOI "El Tango de Roxanne"

私が彼に最初に魅せられたのが、この2006年の全日本の後に行われたエキシビションを兼ねたアイスショー「メダリスト・オン・アイス」のロクサーヌでした。タンゴの叙情性と、後半のステップの激しさは見事に音楽に融合し、彼自身の世界を作り上げていますね。素晴らしいです。
この時「ノクターン」と2曲滑っていて、ロクサーヌは動画3分55秒辺りから。


Mao Asada 2008 World SP "Lavender (Fantasy for violin orchestra)"


昨季のSP。このストレートラインステップは衝撃的でした。今年の女子はステップに力を入れる選手が増えましたが、このプログラムの影響は大きいと思います。
女子であっても高難度の技と高い芸術性を両立できる、ということを世界にアピールしました。海外の解説者や新聞等でも絶賛された演技です。

by toramomo0926 | 2008-12-17 16:16 | フィギュアスケート


<< 高橋大輔選手が退院 2008グランプリファイナルを... >>