印象深い記事-「浅田真央は挑戦した 「金より立派」これだけの理由」
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もう五輪の結果(というか採点)については、恨み節になりそうなので(笑)ここでいろいろ書くのはやめようかとも思ったのですが、印象的な記事に出会ったのでご紹介します。

自分が浅田真央選手のファンだということを抜きにしても、キムヨナ選手の演技は素晴らしいという評価に何故私が納得できないのか、好き嫌いを抜きにしても何故私が彼女の演技で全く心を動かされないのかについては、アンフェアな採点傾向と彼女の言動に思うところがあるのも要因のひとつですが、それでもすっきりしない気持ちがありました。

自分が真央ファンゆえに目が曇っているのかとも思いましたし(その傾向は全くないとは言えないかもしれませんが)、これだけ世間的にも素晴らしいといわれている選手の良さが自分には分からないのは何故なんだろう、と五輪以降特に考えていたのですが、ここに答えが書いてありました。

下記の記事(コピペ)をご覧ください。TV番組(この場合は五輪の放映)に対するレビューのようです。



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J-Castニュース てれび見朱蘭
浅田真央は挑戦した 「金より立派」これだけの理由
「オリンピック フィギュアースケート 女子フリー」(NHK総合) 2010年2月26日 8時50分~

日本人の7割(?)は見ただろうから映像批評はしない。敗因について述べる。キム・ヨナのコーチが以前から言っていたことにヒントがある。彼は要するに勝つための綿密な戦略を立て、その通りに成功したのである。競技をパーツに分け、パーツの難易度と加点の出安さを勘案して繋げていった。3回転3回転などごく僅かを除いて、失敗しにくい要素を並べた。冒険はゼロだからつまらない。
即ち、ピアノ国際コンクールにおける「勝ちに行く」方式である。課題曲以外は聴き栄えがする曲を並べる、弾き込んだ手の内の曲を並べる、冒険は一切しない。主張もしない。万人(つまり審査員)に反感をもたれないようにする。解釈が分かれる曲は選択しない。ひたすら無欠点主義でミスなきようにさらう。どのコンクールでも、どの競技会でも、採点は減点主義なので減点されないことが1番だ。
その代わり、演奏は無個性で面白くもおかしくもない。後々無欠点主義のコンクール覇者は芸術家として大成しない。かつてショパンコンクールで超個性的・挑戦的な青年が3次で落ちた。怒った審査員のマルタ・アルへリッチは、席を蹴立てて審査員を降りた。その青年は落選したことで有名になり、元々実力があったから、今や大演奏家である。その時の優勝者は消えてしまって名前も知らない。
浅田真央は挑戦したのだ。安全策もとらず、果敢に挑戦して、疲れて自爆した。無難な金より遥かに立派だった。泣くな、真央!

(黄蘭) 2010/3/ 4 16:46
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J-Castニュースと言うのは結構内容が玉石混淆な感じがするのだけれど、この記事には共感しました。
そうです。私の感じた違和感はこれです。
キムヨナ選手の演技からは「勝つための」という前置詞がついたものしか見えてこない。演技構成や難易度はジュニア時代から全く進歩させておらず、挑戦も向上も捨てている。かといって彼女の演技や表情、プログラム構成にしても表現や美を追求しているかといえば「それらしく見せる」ことしかしておらず、スポーツや芸術、表現への本質が見えてこないのです。私には。そこが物足りないというか、見ていてフラストレーションが溜まるのです。
この人はこの演技で何を伝えたいの?どうなりたいの?何をゴールにしているの?と。
要するに、見ていて「からっぽ」という感じしかしないのです。

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勿論人それぞれ、選手の好みはあるでしょう。毎回圧倒的な点数をたたき出して勝つ選手にカタルシスを感じる方もいるかもしれないし、彼女の戦略的な振り付けに魅了される方も多いと思います。
ですが、私はアスリートは、更にいえば芸術家であっても、挑戦する気持ちを持っていない選手やアーティストには共感することが出来ないのです。
たとえ表彰台に乗れるかどうか、またはもっと下に順位付けられた選手であっても、「勝つ」以外にも自分で越えるべき目標を持って臨んでいれば、それは必ずこちらに伝わってきます。ジョニー・ウィアー選手やトマシュ・ヴェルネル選手しかり、アドリアン・シュルタイス選手しかり。

高橋大輔選手も、このように述べていました。
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「自分自身、『勝つためのプログラム』が必要なのはわかるけど、そういうのは嫌なんです。『プログラム』を作りたいんです。
『勝つためのプログラム』を作れば、そりゃあ点数はとれるし・・・。でもそれに囚われすぎて、プログラムとして、『作品としてのプログラム』じゃなくなるのが、『作品』っぽくなくなるのが嫌なんですよ。
どのプログラムをやっても、よかったら拍手をもらえる。それを作るにあたって、勝つようにするのは必要だと思う。
だけど『勝とう勝とう勝とう』となってしまうことには抵抗を感じる」



私は高橋選手のような考えを持っている選手に共感するし、応援したくなるんですよね。また、このシーズンに「解釈が分かれる曲」を敢えて選択し、技術的にもトリプルアクセル(3A)3回という前人未到の目標を一貫して掲げ、自分の限界やイメージを破って新しい自分を開拓しようとした真央選手の志にも。
ただの「無謀」なら評価はしませんが、今シーズン「鐘」の評価がどのように変わったかを考えれば、彼女の今季の目標というか、ゴールは「バンクーバーで金メダル」ではあったけれども、「点数」や「勝利」のみに囚われたものでなかったことがわかります。

競技者としては、キム選手の姿勢は間違ってはいません。勝ちたいと思わずに試合に出る選手はいないでしょう。真央選手も、勿論他の全ての選手も少しでも多く点が取れるようにプログラムを組んできているし、スポーツは結果が全てだというのもわかります。しかしフィギュアスケートという競技の特異性ゆえに、私は「自分の目標を達成すれば、結果は後からついてくる」という考えの選手を応援したい気持ちになるし、そういう選手の演技に感応するのだと改めて思いました。


金メダルは4年に一度、誰かが必ず取ります。最高得点も採点方法が変われば、誰かが将来破るかもしれない。
しかし女子で3A3回は、もしかしたら永久に破られないかもしれません。
フィギュアスケートの歴史的な、長期的視点に立ってみれば、真の勝者は浅田真央と信じます。

これは負け惜しみではありません。キム選手はミスをしなかったのですから、いろいろ議論する点はあるにせよ金メダルは納得できるところもありますし。
しかし彼女の得点が演技そのものを遥かに凌駕するインパクトだったために、「世界最高得点をとった」「ノーミスで滑り切った」という漠然とした印象以外に、(特にフリーにおいては)どんな曲だったか、どんな演技だったかも、「もう覚えていない」という人は実は多いのではないでしょうか。


浅田真央の3A3回を含めた渾身の演技は、世界中の人々の記憶にずっと残るでしょう。
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後年、彼女達が引退した後も、ファンや選手の間で語り継がれる演技は、当時の世界最高得点の演技ではなく、世界初の偉業を成し遂げた選手の演技になると思います。

この銀メダルは負けて得たものではなく、「勝ちとった」ものです。
少なくとも私はそう思っています。
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<参考リンク>
J-Castニュース てれび見朱蘭 浅田真央は挑戦した 「金より立派」これだけの理由


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by toramomo0926 | 2010-03-13 10:19 | フィギュアスケート


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