岩崎夏海氏コラム「パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った」
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昨日岩崎夏海氏のコラム「なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか」の第一回コラム「パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った」についてご紹介しましたが、今朝該当サイトを見たところ、全文を読むには会員登録(無料)が必要になっていました。
昨日の記事の下に文章をつけようかと思ったのですが、文字数オーバーということではじかれてしまったので(エキサイトブログは、アドバンス契約だと文字数や画像の容量無制限、と書いてあるんですが、記事ごとには制限があるんでしょうか。月額料金払ってるんだけどな・・・(涙)、別記事として文章を貼り付けます。

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パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った /岩崎夏海
日経ビジネスオンライン 2010年12月20日
 

*訂正とお詫び
昨日の記事アップ当初、岩崎氏が真央選手をテーマにした経緯について「バンクーバーでの彼女の演技に圧倒された彼は、次の作品について編集者に興味あるテーマを尋ねられ」と書きましたが、テーマを尋ねられたのはバンクーバー五輪前のことでした。私の単純な勘違いです。お詫びして訂正いたします。
ご指摘くださったありり様、ありがとうございました。
TB申請に気付いた時には記事を削除されていたので、お返事ができませんでした。この場を借りて御礼申し上げます。




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パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った /岩崎夏海

浅田真央さんの本を書くことになった。

 これは、真央さん本人を初め、さまざまな方々のご協力のもとにスタートした企画である。
 もともとは、出版社の編集者の方(ここでは仮にAさんとする)が、ぼくのもとを訪ねてきてくれたことがきっかけだった。Aさんは、今年初め、後にベストセラーとなるぼくの著書『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(以下『もしドラ』)がまだ出たばかりの頃に、「これは素晴らしい本だ」と評価してくださり、「これに類する本をうちでも書いてくれないか」という提案を携えられ、会いにきてくれた。

 しかしながら、ぼくはこれを丁重にお断りした。なぜなら、『もしドラ』に類する本は書かないと、もうすでに決めていたからだ。同時に、次に出す本は「自分が興味のあることを取りあげたドキュメンタリーにしたい」という思いもあった。だから、そのことを率直に申しあげると、Aさんは、「では何に興味があるのですか?」と聞いてきた。そこでぼくは、こうお答えしたのだ。
 「任天堂と、浅田真央さんです」

 任天堂に興味があったのは、ぼくの本業がエンターテインメント制作であることから、「世界で最も成功したエンターテインメント企業であるところの任天堂」に興味があったのと、マネジメントをテーマにした本を書いたことから、「エンターテインメントを組織で作るとはどいうことか」を取材したいと思ったのだ。

 一方、浅田真央さんは、これは自分でもよく分からない、漠然とした興味からだった。
 この時はまだ、バンクーバーオリンピック(2010年2月)は開催されていなかったが、真央さんは女子フィギュアスケートのメダル候補であったし、それ以前に国民的な人気者だったので、当たり前のように知っていた。

 しかし一方で、ぼく自身があまりフィギュアスケートに詳しくないということもあって、よく知らない存在でもあった。彼女を見るのはテレビの中継とニュース(たまにドキュメンタリー)に限られていて、だから彼女がその世界ではどのような存在で、また彼女自身がどういう人間かというのも、ほとんど知らなかったのである。


ぼくは浅田真央さんに興味があった 
この「知らなかった」ということが、彼女に興味を持った理由の一つかも知れなかった。ぼくは、中継やニュースで彼女を見る時には、いつもその演技や言動に引きつけられた。しかし一方では、なぜそれほど引きつけられるのかが分からなかった。だから、彼女の魅力や人となりといった情報を、いつでも欲していた。

 しかしそれらは、中継やニュースを見ている限りでは、得ることができなかった。なぜなら、中継やニュースでは、常に真央さんの点数や順位、あるいはライバルとの関係ばかりに焦点が当てられ、肝心の魅力や人となりといったものには、ほとんど触れられなかったからだ。

 だから、真央さんの報道に触れる時は、いつももやもやとした不満を抱かされていたのだが、さりとてそれを解消する手段も持ち合わせいなかったから、それらはいつしか、心の底に澱のように沈殿するようになっていたのである。

 その積もり積もったものが、Aさんから「何に興味があるのですか」と聞かれた時に、思わず出たのだ。そうしてぼくは、自分に気づかされた。
 「あ、ぼくは、浅田真央さんに興味があったのだ!」

 その後、バンクーバーオリンピックが開催された。ぼくは、予備知識をほとんど持たないままに生中継を見たのだが、フィギュアスケートは日中に放送していたので、ショートプログラムもフリーも、会社のテレビで見た。

 そこでぼくは、思わず叫んだ。
 「すごい!」

 当時、一緒に見ていた同僚が証人になってくれると思うのだが、ぼくはショートプログラムもフリーの時も、真央さんの番となると画面に釘付けになり、滑ってる間はすごいすごいと連発しながら、その演技に夢中になっていた。

 そうして、フリーが終わり、真央さんの天を見上げる顔が大写しになった瞬間、ぼくは心を貫かれた。
 「これは……」
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 真央さんは、喜びと悲しみ、希望と絶望がない交ぜになった、何とも言えない表情で天を見上げていた。やがて視線を下に落とすと、やれやれといった表情で両の手を腰に当て、リンクの中央に大儀そうに移動すると、観客の声援に笑顔で応えたのだった。
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 その一挙手一投足に、何とも言えない風情が漂っていた。その佇まいに、何とも言えない貫禄が備わっていた。真央さんのその顔は、心の深いところにまで降りていき、そこにあるものを見聞きしてきた人間のそれだった。その過程で、人間としての見栄や体面といったものが全て削ぎ落とされ、魂が剥き出しになった時の、作り物ではない、本当の顔だった。

 それでぼくは、年来の疑問が少しだけ解けたことを知ったのだった。
 「ぼくは、浅田真央さんに人間の本当の顔を見たのだ。その顔に興味を持ち、なぜそうした顔ができるのかを知りたいと思った。だから、興味を抱いたのだ」

 その後、前述したようにさまざまな方々のご協力、ご厚意があり、浅田真央さんの本を書かせて頂くこととなった。
 その取材の手始めとして、名古屋でのNHK杯(10月22~24日)を観戦した。また今回、パリでのエリック・ボンパール杯(11月26日~28日)を取材し、その取材記を、ここに書かせて頂くことになった。

 
スケート選手が「転ぶ」ということの意味
 前置きが長くなったが、ここからがパリの浅田真央さん取材記である。
 ぼくは、ショートプログラムが開催された日、つまり2010年11月26日の金曜日に、エリック・ボンパール杯が行われたパリのベルシー体育館へと赴いた。

このベルシーというところは、パリ中心部からは地下鉄で15分ほど下ったところにあり、東京でいえば汐留みたいな場所だった。近隣には古い建物と新しい建物が混在し、ビレッジと呼ばれるSOHOのような商店街もあって、パリの中では比較的新しい街区であるらしい。ベルシー体育館も、そんな街区にぴったりの、ちょっと近未来を思わせる、デザイン性に富んだ建物だった。
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 会場に入ると、ちょうど男子の練習が始まったところだった。まず目についたのは、スタンドの正面に陣取っていたフランスの子供たちだ。おそらく、見学か何かで近所の小学校から招かれたのだろう。彼らが無邪気な声援を送っていたおかげで、会場は自然、和やかな雰囲気に包み込まれていた。

 そうした中で、いよいよ女子の練習が始まった。いよいよ、真央さんの登場である。ぼくは、非常な興味を持って彼女の練習を見守った。すると、滑り始めた彼女を見てまず思ったのは、その表情が明るいということだった。滑りも、ミスらしいミスが一つもなかった。この日の練習中、彼女は終始気持ち良さそうに滑っていた。

 この仕事が始まって以来、ぼくが周囲の親しい人たちに「真央さんの本を書くことになった」と告げると、その度に言われてきたのが「彼女は調子が悪いみたいですね」「名古屋では残念でした」といった言葉だった。それらはもちろん、先だって行われたNHK杯で何度か転倒し、彼女自身としてはこれまでで一番低い8位という順位に甘んじたことを指しての言葉だったのだろうが、しかしその都度、ぼくはこんなふうに答えていた。

 「いや、実はぼくはそうは見ていないんです。むしろ、NHK杯のあの転倒によって、真央さんのすごさをあらためて実感したところです」

 NHK杯の真央さんを、ぼくはすごいと思いながら見ていた。いやむしろ、そういう思いしか湧きあがってこなかった。それは、今回の取材をするにあたって、あらかじめ真央さんのマネージャーさんと打合せをさせて頂いたのだが、その際に、フィギュアスケートに関する、ある興味深いお話を聞いていたからだ。

 「フィギュアスケートというのは、近くで見ているとすごく残酷なスポーツだというのが分かります。それは、『転ぶ』ということと背中合わせにあるからです。転ぶということは、普通の人でさえ恥ずかしいこと。それを選手は、多くの人の見ている中でしなければならないのです」

 そう聞いて、ぼくはハッとさせられた。確かに、「転ぶ」というのは、人間にとって原初的な「恥」につながるものだ。誰でも、人前で転ぶと顔から火が出るほど恥ずかしい。居たたまれなくなる。特にフィギュアスケートの場合には、恥ずかしいだけではなく減点にもつながってしまう。これほど残酷なことは、確かにあまりないだろう。
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 そういう、フィギュアスケートにおける「転ぶ」ことの意味を聞いていたから、名古屋での真央さんには、かえって驚かされたのだ。彼女は、もちろん転ぶことを前提に滑っていたわけではないだろうが、しかしその可能性が少なくない中で滑っていたことは確かだった。今この状態で試合に出れば、転倒するかも知れないというのは十分に分かっていた。

 しかしそれでも、彼女は試合に出場した。そうして、転んだ。何度も転んだ。しかしその度、立ち上がって、最後まで滑り続けた。ショートプログラムもフリーも、最後まで滑り、最後まで挑戦をやめなかった。

 彼女は、覚悟していたのである。転ぶことを受け入れていたのだ。
 真央さんとて、人間だ。恥じらいは、当たり前のようにあるだろう。しかし彼女は、それを押してもなお、転んだ。

 なぜか?
 それは、自身の成長のためには、今それが必要だと感じていたからではないだろうか。今ここで転んでおくことが、後の成長を促してくれることを知っていたからではないだろうか。短期的には後退と見えることが、長期的には前進を促すことを、彼女は分かっていて、それで今、転ぶことを選択したからではないだろうか。

 しかしそれは、分かっていたとしてもなかなかできることではなかった。人は、どうしたって目の前の嫌なことを避けようとする。そこから逃げ出してしまおうとする。

ぼくから見た真央さんは
 しかし浅田さんは、逃げなかった。覚悟を決め、最後まで滑りきったのだ。
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 その意味で、ぼくにとってのNHK杯は、浅田さんが大きな前進を成し遂げた大会にしか見えなかった。他の何にも見えなかった。8位という順位は、ほとんど問題ではなかった。真央さん本人や関係者の方々は、また別の受け取り方をされたかも知れないが、少なくともぼくには、そういうふうに見えたのである。

 そうしてぼくは、その見方に自信があった。



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<参考リンク>
なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか   岩崎夏海氏コラム。日経ビジネスオンライン
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら  岩崎夏海著:Amazon.jp

<関連コラム>
「もしドラ」の岩崎夏海氏、浅田真央選手のコラムを執筆  2010年12月20日
by toramomo0926 | 2010-12-21 06:17 | フィギュアスケート


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