夢の対談ー高橋大輔、浅田真央、荒川静香&本田武史
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今朝の読売新聞を見てびっくり。
高橋大輔選手、浅田真央選手、荒川静香さん、本田武史コーチという夢の顔合わせでの対談が、1ページという大きなスペースで掲載されていたのです。
毎朝ウチの朝刊は、犬にブンブン振り回されるという過酷な運命をたどるのですが(しかも人間が読む前に・・)、スポーツ欄は紙面の中央あたりなので、写真など被害に遭わずに済みました。
でもちょっとシワシワだけど・・・(笑)。




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高橋大輔×浅田真央 五輪で学んだ
バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央(中京大)、日本男子初の五輪銅メダルを獲得した高橋大輔(関大大学院)が、2006年トリノ五輪金メダルの荒川静香さんを司会役に、2002年ソルトレイク五輪4位の本田武史さんを交え、五輪の意味と、その体験が生きる今季を語り合った。

荒川 人生で五輪を目標にした時期は。

浅田 (7歳の頃)長野五輪でタラ・リピンスキー選手(米)が金メダルを取ったのを見て。小さい選手が優勝したのを見て、自分もああなりたいと思った。

高橋 実はトリノ五輪の一年前ぐらいになってようやく意識した。メダルを意識したのは、トリノで荒川さんの表彰式を見てから。

荒川 バンクーバー五輪の体験を。浅田選手はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)でこだわりを強く持ち続け、挑戦し続けた。ダブルアクセルを跳んでも結果は取れる時でも、絶対外さなかった。

浅田 トリプルアクセルを外すと、気持ちが引いてしまって、他の部分も自信がなくなってしまう。アクセルで強く行ったら、全部強く行ける、という感じがします。やらないと気が済まないし、納得できない。
自分らしさ、だと思う。でも、五輪のフリーは、心臓のドキドキがすごくて、自分でびっくりした。

荒川 笑っても泣いてもこれが最後の五輪っていうほうが開き直れる。

浅田 開き直りで良くなる時もある。失敗しても転んでもいいから、思いっきり行こうって時の方が。

荒川 五輪の後、ジャンプを変えようとした。

浅田 五輪シーズンからルッツの踏切は気になっていたけど、3回転-3回転もあまり決まらなくなって、フリップのタイミングも遅くなっていると感じた。五輪まではやり続けるしかないと思っていたので、終わってから、全部のジャンプを一から見直したいとすぐに思った。

荒川 皆がうらやましいな、と思うくらい簡単にうまく跳べるのに。

浅田 前はもっと軽く跳べていた。体形も変わっているので、昔のジャンプに戻すのは不可能。それでももっと楽に跳べるようにするには、もう一回、しっかりとした形で跳べるように直すしかないと思った。

 ◇

荒川 高橋選手にとっては、バンクーバー五輪は、けがを乗り越える戦いだった。

高橋 けがをしたのは、頭の中がいっぱいいっぱいで全然身が入らない時期だった。その時は休めることに実はほっとしたが、いざスケートを再開したら完全にリセットされていて、感覚が全然わからない。シングルアクセルも怖くて跳べないぐらいだった。五輪まで時間がなくて焦りもあったが、とにかく日々やるしかないと。もっと時間が欲しかった。ただ、ギリギリの時間だったから、あそこまでいけたのかとも思う。

荒川 けがで得たもの。

高橋 メンタルと、体の面(柔らかさ)。ジャンプは跳びにくくなった。でも五輪を体験して、久しぶりにみんなと勝負できていると感じて、五輪後にやめようと思っていたのが、もうちょっとやりたいな、と思えるようになった。

荒川 本田コーチは、2002年の世界選手権で初めてメダルを取った。

本田 あのころはヤグディン。プルシェンコ(ともにロシア)がいて、鉄壁な時代だった。その影響か、02年世界のショートプログラム(SP)最終グループは、全員が4回転ジャンプノーミス。4回転-3回転の連続ジャンプが5人。4回転跳ばなければ最終グループに入れないという時代だった。僕が4回転を3回やっても、やはりプルシェンコとヤグディンには勝てなかった。

荒川 でも彼らがいたから挑戦した。

本田 そう。時代が悪かったと思う時もあるけど、彼らがいなかったら4回転にそこまで挑戦しなかった。あの時代だったから、あれが出来た。

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荒川 この4人は、外国人の先生を経験している。
外国人の先に習って良かった点と難しかった点。

浅田 今、日本人のコーチになって、やっぱり言葉の壁ってすごいあったのかなと思う。タチアナ先生はロシア語だったので、本当にこれで合っているのかというのはあった。でもたくさん経験をしてきている先生なので、いてくれるのが安心だった。

高橋 細かい部分のコミュニケーションは難しかった。でも一番良かったのは、褒められて自信がどんどんついたこと。日本でやっていると、自分に自信が持てなかったから。

荒川 タチアナ先生に習った時、五輪は「オリンピックゲームズ」というゲームだから、五輪で楽しむために、それまでの日々を死ぬ思いでやれと言われた。
普段の練習で100%以上のことをやるんだと。タチアナ先生がいつも言う「マキシマム(全力で)」の聞こえ方が、それから変わった。

浅田 そう。「マキシマム!」って。

荒川 口癖かと思っていたけど、深い意味があったと、その時分かった。五輪を楽しむために、それまでを頑張るんだ、という。

 ◇

荒川 記録への思い。日本人で前人未到(の世界選手権連覇)は?

高橋 連覇はしたいけど意識すると多分できない。

荒川 浅田選手は既にギネス記録保持者。

浅田 トリプルアクセルを3度跳ぶことを目標にして、気づいたら、です。

荒川 かっこいいね。私なんか女子最年長(金メダリスト)記録だよ。浅田選手が次回金メダルを取っても、破られない(笑)。では、将来の夢は。

浅田 ソチ五輪に出たい。バンクーバー五輪ではすごく緊張したけど、選手村や、たくさんの人との出会いや、閉会式を経験して、五輪っていいなと思ったので。あの空気が、すごく面白い。あと、小っちゃい子を教えてみたいです。

高橋 僕はスケートの方も人生の方も岐路に立っている。夢迷子みたいな感じ。
自分のパフォーマンスができないと思ったら、滑りたくない。(現役後は)選手を育てたいし、ショーもやってみたい。以前は違う職業にも興味があったが、けがをして、五輪を通して、今はやっぱりスケートしかないと感じている。

2011年1月27日 読売新聞

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リラックスした良い雰囲気で行われた対談のようですね。
出番は少なかったけど(笑)、本田コーチの言葉が強く印象に残りました。
あの頃は実力主義の、本当にガチンコの戦いが出来ていましたよね。それでもソルトレイク五輪で汚点は残りましたが、選手は出来るだけ高いレベルの演技をする、それが出来た選手が勝つ、という意思や感覚は一致していました。
今のように点を稼ぐために難易度をわざと下げるという作戦など思いもよらぬものでしたし、そういう選手の方が結果的に高い点を得てしまうという馬鹿げたルールもなかった。
フィギュアスケートが芸術性を求められる競技でありながら、まずスポーツであるという大前提は揺るがなかった、競技として健全で幸福な時代だったといえます。

そして、本田コーチの「彼らがいなかったら4回転にそこまで挑戦しなかった。あの時代だったから、あれが出来た」という言葉をジャッジやルールを決めるISUの偉い人に是非聞いてもらいたいと思いました。
不自然な形で「演技全体の完成度」を求めて難易度の低い内容を小さくまとめた選手に高得点を出し、挑戦する選手を罰するような採点を行うことは、これまで出来ていた技を諦めさせることにつながると言われてきました。
今季よりその批判を受けて回転不足認定が一部緩和され基礎点はそこまで下がらなくなったものの、結局出来栄えの点数を大きく引かれており、ルール改正は選手にとってスズメの涙ほどのメリットしか得られていません。また、その出来栄えや演技構成点も出方、引き方に選手によって差があるように見受けられ、公平性は相変わらず失われ続けていると言わざるを得ません。

更にこの本田コーチの言葉はそればかりでなく、今はその技を習得していない選手が、挑戦し続けることによって技を獲得するという機会、可能性、選手の達成感をも奪い取っているということを示しています。
本田コーチはヤグディン・プルシェンコ両選手をはじめ、世界のトップスケーターが全員4回転を当たり前に跳んでいる状況だからこそ4回転に挑戦し続けることができた。そうでなければそこまでやらなかった、と話しています。この言葉の持つ意味、今の状況が今後のフィギュアスケートの発展に与える影響というものを、ISUはもっときちんと考える必要があると思っています。スポーツから「切磋琢磨」を奪っていったい何が残るというのでしょうか。


真央選手はジャンプに対しても、ソチ五輪に出たいということも相変わらずブレがありませんが、高橋選手の「スケートの方も人生の方も岐路に立っている」という言葉も気になりますね。やっぱり引退のタイミングというのは常に考えているのでしょうか。
私はそんなのはどんどん忘れてもらって、「気づいたらソチ五輪」という展開を本気で願っているんですが・・・。

みなさん明るい表情で、良いインタビューだったと思います。第二弾はないのかなあ・・・
荒川さんも素晴らしい進行ぶりで、読んでいてテンポが良く楽しかったです。
4大陸も迫ってきていますね。インフルエンザや怪我に気を付けて頑張ってください!


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by toramomo0926 | 2011-01-27 13:54 | フィギュアスケート


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