フィギュアリンク再開めど立たず 「勇気届ける」 -羽生結弦選手
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仙台市で被災し、ホームリンクを失った状態の羽生結弦選手。現在もリンク再開のめどが立たず、横浜のリンクを仮の拠点とし、出演するアイスショーの会場などでも練習する日々とのことです。




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フィギュアリンク再開めど立たず 羽生選手「勇気届ける」
 東日本大震災は、東北のスポーツ施設に被害を与えた。仙台市泉区の「アイスリンク仙台」もその一つ。フィギュアスケートのトリノ冬季五輪女王、荒川静香や男子の本田武史らかつての名選手や、男子期待の羽生結弦選手(16)=宮城・東北高=が育ったスケート場は、リンクの入る建物が損壊し、営業再開のめどが立っていない。

 3月11日、羽生選手は練習中だった。壁がずれる大きな音は今も耳に残り、恐怖の記憶は「何回も夢に出てきた」という。仙台市内の自宅も被害に遭い、小学校の体育館で4日間の避難生活を送った。

 震災後はスポーツをしていていいのか悩んだ。そんな時、東北高の野球部が甲子園で奮闘する映像を目にして「自分も精いっぱいスケートをやって、被災者に勇気を届けたい」と思った。横浜市内のスケート場を仮の拠点とし、アイスショーで全国各地を転々とする。出演前後のわずかな時間で練習する日々だ。

 羽生選手を教える阿部奈々美コーチは、夫の運転するマイクロバスで片道6時間をかけ、新潟県上越市のリンクにほかの生徒を連れて行く。震災後は数人が競技から離れ、教え子は30人を切った。「支援する親の気持ちがスケートから離れてしまうのが一番心配」と阿部コーチ。羽生選手は「男は僕1人になっちゃった」と声を落とした。

 来季に向けて滑り込みが必要な時期で、羽生選手は不安とも戦う。復旧が進む中、先日様子を見に行ったホームリンクは電気が消えて「あそこだけ震災時のままだった」。離れ離れになった仲間を思い「いつかまた、みんなと一緒に仙台のリンクで滑りたい」と願う。

(共同)

2011年5月23日 中日新聞

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震災時の状況が夢に何度も出てきたり、現在も落ち着かない環境で不安な日々を過ごしているとのことで、トップスケーターになろうとする成長期の選手の練習の質や量に不安が残るのは勿論ですが、精神的なことも非常に気がかりですね。
一時競技を離れることも頭をよぎったという彼ですが、競技への気持ちはしっかり持ち続けてくれていることだけが明るい材料という感じでもあります。
東北を離れたくないという気持ちは尊重したいけれど、状況によってはこの1年だけでも別なところに拠点を置かないと心身ともに疲れきってしまうのではないかと心配していたのですが、横浜を仮拠点としてくれたということは少し安心しました。気持ちは仙台にあるでしょうが、やはり疲れてしまうと怪我にもつながりますし・・・。

阿部奈々美コーチは6時間かけてリンクに他の生徒さんを連れて行ってるとのことで、大変だと思います。ということは、羽生選手も今は奈々美コーチと離れ離れなんですね。そういうところでもきっと不安はあると思います。早く元通りの体制に戻れればいいのですが、それには年単位の期間がかかりそうな気もします。とりあえず自治体としては一般的な社会生活や漁業、農業などの復興が先でしょうし、アイスリンクの復旧は最後にまわされそうな気がするので。

上に貼り付けた写真を見ると、この数カ月でまた大人の顔になりましたね。彼自身人生観の変わる経験をしていろいろと考えたというのもあるのでしょう。
これから彼が震災の影響に足を引っ張られることなく、彼の美しい滑りを存分に引き出した演技をして、トップスケーターに成長してくれる事をひたすらに祈っています。
今年のThe ICEにも出演してくれるとのことなので、会場で精いっぱい応援してきたいと思います。

羽生選手の今後が幸多いものになりますように。


報ステ特集(2010グランプリシリーズの頃のようです)



2011年4月19日 神戸チャリティアイスショー



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by toramomo0926 | 2011-05-24 14:03 | フィギュアスケート


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