城田憲子さんコラム「日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(1)」
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スポーツ報知のサイトで、元アイスダンス選手で元日本スケート連盟フィギュアスケート強化部長(2006年不正経理問題で引責辞任・2009年連盟に復帰)の城田憲子さんが「城田憲子のフィギュアの世界」(日経新聞のコラムと同じタイトルですね)佐藤信夫・久美子夫妻にインタビューを行っています。今回は第一回目。
インタビューというより、座談会というかお茶しながらの思い出話、みたいな感じですね(笑)。

日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(1) -城田憲子のフィギュアの世界 2012年3月9日



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日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(1)
 シーズンもたけなわの中、城田憲子対談は日本を代表する名コーチ夫妻、2010年に世界フィギュアスケート殿堂入りした佐藤信夫氏と久美子氏をお迎えした。「信夫ちゃん、久美ちゃん」「ノコちゃん」と呼び合う3人は、時に幼なじみ、時に選手育成をめぐって協力、対立もし…。半世紀にわたる長い付き合いの歴史は、そのまま日本のフィギュアスケート史にも重なる。

 城田「信夫ちゃん、久美ちゃんには、聞きたいことが色々。2人で育ててきたメダリストといえば、娘の(佐藤)有香ちゃんから始まって、(村主)章枝ちゃん、(荒川)静香ちゃん、(安藤)美姫ちゃん、(小塚)崇彦君…」

 久美子氏「うかつなこと、しゃべれないわ(笑)」

 城田「大丈夫、大丈夫(笑)。ところで信夫ちゃんは、うちの旦那さん(裕氏)と同じ年生まれなのよね(1942年)。裕さんも今年、70歳になるのよ」

 久美子氏「じゃあ同じだ。うちは主人が私の4つ上だから」

 信夫氏「あなたたちも同じ年(1946年)生まれでしょう?」

 久美子氏「私が早生まれだから…」

 城田「久美ちゃんの方が学年は一つ上ね。長久保先生も同じ年の生まれ」

 久美子氏「小塚君の父(小塚嗣彦氏)もね。そういう年代」
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中央が小塚嗣彦コーチ。


 城田「じゃあまずは、若いころの話から聞こうかな」

 信夫氏「5時間くらいはしゃべりますよ(笑)」

 城田「信夫先生たちは私と違って、スケートが上手だったからねえ…。あのころ、久美ちゃんのお父さんは東京の選手たちの間でもよく知られていたの。『おっちゃん、おっちゃん』って呼ばれててね」

 久美子氏「ユニークでしたからねえ、私の父は」

 城田「すごく明るい方で、私たちの面倒もいろいろ見てくれたのよね」

 久美子氏「もう、漫才師みたいな人でしたよね」

 城田「そうそう、私たちにも『元気か?』って声をかけてくれる、そんな雰囲気の方でしたよ」

 久美子氏「まったくスケートに関係なく育ってきた人なんですけどね」

 城田「それでも必ず、久美ちゃんが東京に来る時はついて来てたでしょ? で、信夫ちゃんにはお母様がずっとついていて。いつもママの言うことを、すごく良く聞いてた。夜も早く、8時ごろには寝かされたんでしょう?」

 久美子氏「そうなの?」

 信夫氏「寝かされたってことはないよ。疲れて寝るだけで(笑)」

 城田「とにかくすごく、信夫ちゃん思いのお母様だったのよね。『信夫命!』って感じだった」

 久美子氏「その信夫命のお義母さんが亡くなる前にね、『あの子が、先に逝ってしまったのが心残りで…』って。そばに立ってたのにね(笑)」

 信夫氏「信夫命のお母さんに殺されてしまいました(笑)」

 城田「大変だ(笑)。うちの母も信夫先生のお母様とはいろいろな話をしたらしくて」

 久美子氏「スケート界はみんな、小っちゃい頃から何10年ものお付き合いだからねえ」

 信夫氏「僕、東京の他の選手のことはよく知らない。でもこちらの姉妹(旧姓・湯沢憲子、恵子)のことは、小学生の頃からよく知ってるんですよ。僕のいとこが当時スケートを教えてたんですが、その母親(僕の叔母)が、城田さんのお母さんとものすごく仲が良かったから。当時のノコは…まあ、どうしようもない。世の中にこんなワガママな人はいない(笑)。それだけは間違いない」

 久美子氏「よく松本君(松本宣久氏)と組んでダンスなんかやってたなあ、と(笑)」

 城田「私もワガママでしたけど(笑)、松本君だってワルだったのよ。東京に出てくると、みんなワルくなっちゃって(笑)。でも、今のワルいのとは全然違うの。当時の選手たちは、もっと豪快だった。でも信夫ちゃんはそうじゃなかったのよねえ。煙草なんて絶対に吸わなかったし。まあ信夫先生には、コーチになってからも色々迷惑をかけてきましたけれど(笑)、その話もおいおい、ね。選手時代はずっと大阪だった2人。海外のエキシビションにも一緒に出かけたりして、結婚するずっと前から仲が良かったのよね!」

 久美子氏「みんなそう言うんだけれど…そんなに仲良くなかったよねえ(笑)。例えば、コンパルソリーの練習があったでしょ。みんなリンクのきれいな所を使いたくて、場所取りをするの。私は子どもの頃、すごくチャカチャカしててね。今もそうだけど(笑)。いい場所を取られないために、この人が片方の靴を履いてる隙にもう片方の靴をポーンと蹴とばしちゃう! で、靴を取りに走ってる間に自分が先にリンクに行って、いい場所を取ったりして(笑)」

 信夫氏「で、一生懸命コンパル練習したかっていうと、そうじゃない(笑)」

 久美子氏「いい場所取っただけでした(笑)」

 城田「それだけ熱心に練習しただけあって、2人とも、すごくコンパルソリー上手でしたよ」

 信夫氏「いや、うまくなかった。コンパルがもっとうまかったら、きっと世界は変わってたよ」

 城田「でも信夫先生、世界選手権のコンパルソリーで4番だったことがあるでしょう?」

 信夫氏「あの時(66年)は総合で5番」

 城田「でもね、あの頃の世界で5番、本当はもっとすごいのよ。まだまだ『日本だから』5番、だったわけで」

 信夫氏「まだまだ『日本』はブランドじゃなかったからね。なかなか高くは買ってもらえなかった(笑)」

 城田「信夫ちゃんの本当の実力は、もっと上だったと思うのね。日本は政治力もまだまだだったし、ロビー活動も出来なかった」

 久美子氏「まだ英語がしゃべれる人も少なかったよね。やっぱりそういう時代」
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1960年、スコーバレー五輪での信夫コーチ(選手)。


 信夫氏「フフフ、2回目のオリンピック後のドルトムントの世界選手権(64年)だったかな。僕がコンパルソリーでループを描いたんですよ。そうしたら僕のループがすごいって言われてね。選手たちが本番のリンクサイドに見に来たんです。ところが点数が意外に低かった。それを見た選手たちがみんなで、『なんでだ!』ってジャッジに向かって言いだした。ちょっと騒然としちゃってね…」

 城田「海外の選手たちが!」

 信夫氏「これ、どうやって制止するのかな、って僕が心配したくらい、大変な空気になったことがあったんですよ」


 城田「すごいじゃないの!」

 久美子氏「でも、失敗したことだって多いよね。コンパルソリーの途中で止まっちゃったりとか!」

 信夫氏「オリンピックの選考会だったね。氷が真っ白けになっちゃって、事実上、足をついたのと同じ結果になったり…だからまあ、やっぱりうまくないんですよ(笑)」

 城田「それでも最終的には、信夫ちゃんは世界の4番までいったでしょ(65年世界選手権)。あの頃の4番なんて、今なら確実にメダルだと思うよ」

 久美子氏「自分で台を持って行って、表彰台の横に並べばよかったわね(笑)」

 信夫氏「あの時はね、やっぱり人から見ても、まあまあ良かったらしいんだ。バーミンガムで世界選手権(95年)があった時にね、僕の生徒だったルシンダ(ルー、スイス代表)が出てたでしょ。2人で朝ご飯を食べてたら、ドナルド・ジャクソン(カナダ代表、62年世界王者)が同じテーブルに来たんだよ。そしていきなりルシンダに、『あなたの先生はね、65年の世界選手権で本当は1番だったんだよ』って」

 城田「まあ!」

 信夫氏「色々なことをしゃべり始めてね、『何言うんだよ!』って(笑)。そんなんですから、やっぱりまあまあ良かったんだろうね」

 城田「私も本当に良かったって聞きましたよ。後楽園のリンクでも話題になってた。『なんで? 本当だったら信夫ちゃんが台に上がるはずなのに!』って。久美ちゃんだって、世界選手権で5番(67、68年)までいったでしょう? そうやって信夫先生たちが道を作ったから、今は日本の選手が出れば、表彰台はもう当たり前になった」

 久美子氏「それはまあ、どんなことでも同じでしょうよね」

 信夫氏「うん、僕らがどうこうというよりも、やっぱり日本全体の、日本のスケート界の総合力ですよ。もちろんまだまだ色々な問題は横たわってる。でも、やっぱり日本の総合力、それもスケート界だけじゃない、みなさんの力だね。最近はスケートの選手たちの練習をバックアップしてもらえる体制も出来てきた。そんなことも、この時代が来た大きな要因でしょう?」
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 城田
「もちろんそうだけれど、信夫先生と久美子先生が選手として一時代を築いて、さらに夫婦で教え始めたことだって、大きな要因のひとつよね。大阪で選手やってた2人が東京で教え始めて…。そのきっかけは、堤さん(義明氏、当時の国土計画社長)?」

 信夫氏「うん、堤さんに誘われて東京に出てきた」

 城田「2人で東京に出てきて、そこからスケートを教え始めたんですよね。それで結婚して、有香ちゃんが生まれて…と。結婚したいきさつって、どうなの? 何となくそういう感じになった? それともお互いに、『この人しかいない』と?」

 信夫氏「お互いにボランティアだって、言い合ってますよ(笑)」

 城田「うちの旦那と同じようなことを言わないで(笑)。『僕はボランティアです』なんていつも言うんだから…」

 信夫氏「僕らは両方がボランティア。自分がなんとかしてやらないとこいつは大変だ、ってお互いにそう思ってる(笑)」

 城田「うちと違うのは、久美子先生も信夫先生のことをちゃんとケアしてることね」

 信夫氏「ノコは旦那さんをケアしないのか(笑)」

 城田「しない(笑)」

 久美子氏「まあ、こうなったのも堤さんのせいなのよね」

 城田「堤さんが信夫先生に『そろそろ結婚しろ』って言ったんでしょ? それで信夫先生は『はい』って(笑)」

 久美子氏「そんな感じみたいですよ(笑)」

 信夫氏「事の始まりは、この人のおやじさんが会社にやってきて、『社長、頼みがあります』って言いだしたことなんですよ。『何ですか、お父さん?』『おたくの社員を一人、うちに貸して下さい』と。『どういうこと?』って僕も堤さんも思ったんだけれど、要するに『娘に教えろ』って事だったんです」

 城田「久美ちゃんのコーチを信夫ちゃんにしてくれって、堤さんに頼んだわけね」

 信夫氏「うん、それを社長から僕に命令してくれ、ってことだったんですよ。そこからややこしくなったんだな…」

 久美子氏「結局、最後まで面倒見ろ、ってことになっちゃったのよね(笑)」

 信夫氏「なぜか『お前、何やってんだ? 早くなんとかしろ』なんて堤さんに怒られて(笑)」

 城田「それで結婚したのが、私と同じ頃だったのよね。私の結婚が70年で、信夫先生たちは?」

 信夫氏「僕らの方が少し早いんじゃないかな? 69年」

 城田「結婚式は、三笠宮様をご招待されたでしょう?」

 信夫氏「そう、三笠宮様に乾杯をしていただいた」

 城田「それじゃあ、絶対に別れられないよね(笑)。まあでも、そんな心配もない、おしどり夫婦ね!」

2012年3月9日 スポーツ報知

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3人ともすごくリラックスしてて、楽しいですね。佐藤夫妻はどちらも大阪のご出身だけあって、トークが軽妙(笑)。
皆さん同年代で、幼い頃からスケートを通して幼馴染みたいにして育ってきて、試合も一緒に出ていたんでしょうから、当時から今の日本チームみたいな和気藹々とした感じだったんでしょうね。
それにしても久美子先生、コンパルソリーの場所取りの時間稼ぎに信夫先生の靴を蹴っ飛ばして逃走とか、笑ってしまいました。かわいいですね。
そして、1964年ドルトムントの世界選手権のコンパルソリーで信夫先生の点が低いことに外国の選手がブーイングをしたというエピソードは、ちょっと胸が熱くなりました。選手には本当に力のある人はわかりますものね。当時からISUはおかしかったともいえますが(涙)そんな状況でも選手たちは正しい目でアジア人の選手を正当に評価してくれていた。

信夫先生も今は笑って話せても、当時は悔しさもあったと思うんですよ。
黄色人種というだけで、日本人というだけでもう負けているという超マイナスからのスタートとなる。理不尽な思いをずっと抱えていたと思うんですが、その中でも表彰台まであと一歩というところに食い込んだというのは凄いことです。
小塚選手のおじい様である小塚光彦さんから佐藤夫妻を経て、伊藤みどりさん、荒川静香さんたちの世代、そして今世界トップの層の厚さを持つ日本フィギュアへと脈々と続いてるんだなあ・・・と改めて感じました。
そしてこの後、今現役の選手たちが選手を育てるようになっていくんでしょうね。
それにしても結婚式に皇族の方が出席されるってすごいな・・・。

次回の更新が楽しみです。
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<参考リンク>
日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(1) -城田憲子のフィギュアの世界 2012年3月9日


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by toramomo0926 | 2012-03-09 08:11 | フィギュアスケート


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