城田憲子さんコラム「日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(2)」
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スポーツ報知のサイトで、元アイスダンス選手で元日本スケート連盟フィギュアスケート強化部長(2006年不正経理問題で引責辞任・2009年連盟に復帰)の城田憲子さんのインタビュー記事「城田憲子のフィギュアの世界」を連載しています。(日経新聞のコラム『フィギュアの世界』とは別です)。

今回は佐藤信夫・久美子夫妻のへインタビュー2回目。愛娘で現在米国でコーチとして大活躍されている佐藤有香さんがスケートを始めるきっかけについてが中心です。

日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻(2) -城田憲子のフィギュアの世界 2012年3月24日




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日本のメダリストのコーチたち~佐藤夫妻〈2〉
 多くのメダリストを育てた信夫・久美子夫妻にとって、初めての世界チャンピオンは、実の娘である有香さん。94年幕張で開催された世界選手権で日本人2人目の世界女王となった。現在は米国を拠点に、ジェレミー・アボットやアリッサ・シズニーを指導し、コーチとして両親に迫る活躍を見せる。スケーター夫妻は、娘にどんな英才教育を施したのだろうか?


 城田「夫婦でたくさんの選手を育ててきなかでも、最初に世界チャンピオンになった有香ちゃんは、やっぱりスケーターにしようと思って育てたの?」

 久美子氏「もう、そんなことは一切ないのよ」

 信夫氏「うちの子どもには絶対スケートはさせない、って心に決めてましたから」

 城田「本当に?」

 久美子氏「主人は特に。有香が始めてからも、ずっとやめさせようとしてたくらい」

 信夫氏「ある時、有香の学校のPTAが品川のリンクを貸し切りしたんですよ。それで有香も滑ることになって、しょうがないから一緒に氷に降りたのが始まりだったかな…。その時も、教えるほどのことはしなかった」

 久美子氏「いや、もっと前からリンクで遊ばせたことはあったのよ。でも1か月に1、2回くらいのもの」

 信夫氏「でもスケートをさせる気は全くなかった。そんな時に、うちの家のすぐ前で有香が交通事故に遭っちゃったんです。大学生の運転する車のタイヤが、有香の足に乗っかっちゃった!」

 城田「有香ちゃん、ひかれちゃったの?」

 信夫氏「そう。それで、親の目の届く所じゃないと危ない、道路で遊ばせるよりはリンクで遊ばせよう、と。その頃、品川では有香と同じ年頃の女の子が3人、僕に習いに来てたんですよ。子どもたちは有香を入れて、「4人組」なんて呼ばれるようになった。ほら、中国の文化大革命で「4人組」って言葉がはやってたから」

 久美子氏「もうそんな話、分からない人の方が多いわよ(笑)」

 信夫氏「4人組といっても、3人はスケートを習いにきてるわけだから、僕がちゃんと教える。どんどんうまくなってくわけですが、有香は生徒じゃないから何も教えない。そんなある日、リンクで突然僕のところに来て、後ろからベルトをぎゅっとつかむんですよ」

 城田「ちっちゃな有香ちゃんが?」

 信夫氏「そう。『何してんの?』って聞いたら、『私にも教えて』って言う。『今、レッスンしてる最中だからダメだよ』って言ったら、『教えてくれないと、ここを動かない』って」

 城田「かわいいじゃない!」

 信夫氏「しょうがないから少しだけ。ほんの5分、スピンの入り方だけ教えたんですよ」

 久美子氏「そしたら1週間くらい、ずーっとスピンだけやっていたの(笑)」

 信夫氏「1週間やってれば出来るようになっちゃうから、また1週間後に5分だけ教えた。そしたらまた教えたことを1週間ずーっとやっている。また出来るようになる。そんなことをだましだましやっているうちに、『私も試合に出る』って言いはじめたんです。『でも、プログラムどうするんだ?』って…」

 久美子氏「そしたらね、有香が『自分で作る』って!」

 城田「本当?」

 信夫氏「『音楽はどうするんだ?』て聞いたら『ママに作ってもらう』と」

 久美子氏「しょうがないから音楽だけね。子供だから1分のプログラム、編集も何もしないで1分だけ切ったものを作ってあげたの。音楽も『これ』って自分で選んで持ってきたのよ。プログラムも、自分で振りつけて」

 城田「本当に自分で作っちゃったのね?」

 久美子氏「そう、初めての1分のプログラムを」

 城田「見たいわね! その試合の映像、残ってる?」

 久美子氏「残ってる。もう、それがおかしいのよ!」

 信夫氏「滑りだして一番最初にスパイラルが入ってるんですよ。そのスパイラルで、つんのめってね」

 久美子氏「前にドーンって、転んじゃった。それきり『うーん』って言って動かない」

 信夫氏「『痛い、痛い』って言って、プログラムも止まっちゃったんです」

 久美子氏「私、それ見て転げ回って笑っちゃた(笑)」

 信夫氏「初めて試合に出るって聞いて、大阪からおばあちゃんが観戦に来てたのにね」

 久美子氏「そう、新幹線に乗って来てくれたのに、転んだ所を見せただけ!」

 城田「でも、自分で自分の音楽を選ぶ事が、子どもの頃から出来てたのね。確かに有香ちゃん、選手になってからも『来年のプログラムどうしよう?』『曲はどれがいいかな?』なんて、すごく熱心に音楽を聴いてたわね。久美ちゃんも『これはどうかしら?』『これは駄目、これはいけるかも』って、遠征先でも音楽のことを色々話してたの、覚えてる」

 久美子氏「好きなんですよ。音楽選びも、プログラム作りも」

 城田「小さな頃から自分で振り付けしちゃうような子だったとはね」

 信夫氏「そこからちょっとずつ試合に出るようになって…。当時、王子のリンクで小中学生大会をやってたでしょう。有香も何回か出たんですが、小学校5年生頃かな、試合前の彼女の練習を見た時に、『あれ、なんだかこの子は面白そうだな』と感じたんですよ」

 城田「その時初めて?」

 信夫氏「うん。ステップをグググッてやったのを見てね。『お、こりゃあ何かあるな』と。それで帰りの車の中で、『有香は本当にスケートやりたいのか?』って聞いた。そしたら『やりたい!』という。『じゃあ、やらせてあげよう。その代り、明日からお父さんは人間が変わるよ『って言った」

 城田「もう、お父さんから先生になっちゃうのね(笑)」

 信夫氏「『人間変わるよ、それでもいい?』って言ったら、『いい』と。そこからですね、『じゃあ、きちっと一から始めよう』となったのは」

 久美子氏「お父さんがやる気になったのは、その時から。でも有香の方は、ずっと前からスケートが好きでね」

 信夫氏「東京の世界選手権(77年)のビデオをTBSから全部もらってきたんですよ。解説なしの音楽だけ入ったビデオ。それを有香は毎日毎日見ていた」

 城田「そこからスケーター佐藤有香は始まったのね。そのうち全日本の表彰台に立って、世界選手権にも出るようになって。そしてリレハメル五輪の3年前くらいかな、カナダの先生の所に有香ちゃんが行くようになったのが」

 信夫氏「うん、有香が『行きたい』って言うんで、一度外の先生にあずけたんです」

「ピーター・ダンフィールドの所ね。年頃になってくると、私と有香が、日常での喧嘩をリンクにまで引きずってしまうようになったのよ。スケートのことには、私は何も言わない。でも口のきき方が悪いとか、そんなことでよくケンカをしてね…」

 信夫氏「女の戦いが始まっちゃったのでね(笑)。なんとかするには、1回親から離すしかないと思った。そこで決断をしたんです」
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 久美子氏「実はもともと有香じゃなくて、私たちがピーターに誘われてたのよ。『カナダに来い、一緒に仕事をしよう』と。時期的に、もうちょっと後だったら私たちが行ってたかもしれない。でもあの時期は親の具合も悪かったし、私たちには外国に出て行く勇気もなくて」

 信夫氏「そのピーターの所に、有香が行きたいというので、『何とか頼む』と」

 久美子氏「『しょうがないな。じゃあ預かろう』と(笑)」

 信夫氏「『どこまで出来るかは分からないよ。でも、とにかく連れてこい』って」

 久美子氏「連れていって3日か4日だけ主人がついていて、あとは有香だけ置いて帰ってきちゃった(笑)」

 信夫氏「もうちょっといたかったんだけど、出なきゃいけない結婚式があったからね。それで、後は頼む、何かあったら電話してくれってピーターに言って僕は日本に帰ってきた。有香はいきなり、日本語をしゃべる人が誰もいない場所に残されちゃったんですよ」

 城田「選手を外のコーチに預ける。しかも実の娘を…」

 久美子氏「そりゃあ、心配しましたよ。知ってる人が一人もいないような所ですし」

 城田「でも逆に、英語を覚えるのも早かったのかしら?」

 信夫氏「まず、こんな小さな辞書を持っていかせたんですよ。辞書とノートと鉛筆をリンクサイドに置いて、レッスン。ピーターが何か言って分からないと、有香が辞書を渡すんです」

 久美子氏「それを先生がひいてくれてね」

 信夫氏「有香が辞書を見て、『ああ、そういう意味か』と。一つ聞いたら、それをノートに書かせました。先生がひいてくれた言葉を一つずつ、全部ノートに書いて覚えていった」

 久美子氏「それじゃあ15分レッスン時間をもらっても、実際に習ってる時間は5分よね(笑)」

 信夫氏「そんな状態で始まって。最初の年は1か月半、行かせたんですよ。カナダのオタワだったから、英語だけじゃなくフランス語を話す人も多くて、リンクのクラブ室の中では、チャンポンで飛び交ってるんです」

 城田「そうか、オタワならそうなるわね」

 信夫氏「英語だってダメなのに、フランス語まで聞こえてきてグチャグチャになって、もう分からない。そんな雰囲気だったらしいですよ。トラブルも色々あったらしくて、バスに乗ったら車庫まで行ってしまった、とかね。それで次の年にも行くことになっていたのに、『やめる』って言いだした。僕は怒りましたよ。『行くからには最後まで行くんだよ! 約束したでしょ?』と」

 久美子氏「2年目は、主人が無理矢理、成田空港まで連れていったのよ…」

 信夫氏「成田でお尻をバーンと蹴っ飛ばして、送りだしたんです(笑)」

 久美子氏「やってたわねえ。リュック背負った有香が階段を下りる所を後ろからバーンと。私はもう、辛くて耐えられなかったですよ」

 城田「そんなこともあったのね…」

 信夫氏「それがカナダに行った2年目の年。でもそのあたりからだんだん、有香も良くなっていったのかな。若いですからね、行ったら行ったで、なんとかなる。その土地に慣れちゃえば、人にも慣れ、色々うまくいくようになるんですね」

 久美子氏「言葉の問題さえ越えれば、何とかね」

 城田「しかも有香ちゃん、人懐っこいものね。いったん慣れて、なかに入ってしまえば大丈夫だった。私が試合でカナダに行った時も、よく有香ちゃんが空港まで迎えに来てくれたのよ。外国でしっかりやっていて偉いなあ、と思ったわ」

(つづく)

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久美子先生、あんな笑顔を持っていながら実はドSなのではないかという疑惑がよぎった回でした(笑)
リンクで小さな子(しかも自分の娘)がつんのめるように転んで動かなかったら私なら青ざめると思うんですけど、リンクの上で生きている方々は違うんですかね・・・きっと経験に基づいて一瞬のうちに「このくらいなら大丈夫」という判断が無意識にあるとは思うんですが、読んでて「ええええ」でした(笑)。

それにしても有香さんにしろ、小塚選手にしろ、スケーターご夫妻の間に生まれたからといって「絶対スケーターに!」という風には育てられてないんですね。でも結局子供が自ら同じ道を選んでいくというのはやはりDNA、血筋かと思いますね。
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そして有香さんがスケートを本格的に始めるにあたり、信夫コーチが宣言した「明日からお父さんは人間が変わるよ」という言葉は印象的でした。小塚選手もお父様の嗣彦コーチと「辞めたくなったらいつでも辞めていい」という約束をして始めたと話していますが、きっちりと始めるに当たり「けじめ」をつけて始めているところに、やっぱり本気で、世界レベルで一つの競技を行っていた方々の覚悟というのが垣間見える気がしました。
有香さんが自分で曲選びと振り付けを最初からやろうとしていたのも、今聞くと彼女の未来(とその成功)は既に運命づけられていたのかなあという気がします。やっぱり才能と言うか、何かがあったんでしょうね。


読んでいて肩ひじ張らない、とても楽しい内容になっていますね。次回も楽しみです。


<参考リンク>
城田憲子のフィギュアの世界 -スポーツ報知

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by toramomo0926 | 2012-03-25 18:03 | フィギュアスケート


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