浅田真央のソチ五輪・雑感
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本当に長い間ここを放置してしまっていました。

選手を応援していくと分かってくる、選手や試合を取り囲むいろいろなことにここ数年疲れ切ってしまっていたことで、継続しようとする気持ちが切れてしまっていました。それは今も回復してはいません。
ですがツイッター等で書いていたもの(だと思う。もはやそれすら記憶が曖昧だ)を記録していたファイルが見つかったので、とりあえずこれだけでもここにアップしておこうと思う。恐らくソチ五輪当時のツイートとほぼ同じ内容と思われるが、ご容赦下さい。

当時、「月船書林」様というブログの記事を読んで書いたものと思われ(自分のことなのに『思われ』という書き方になるのは本当に情けないのですが)、リンクも同時にありましたので、ここに添付させて頂きます。本文に言及のあるJapanTimesのジャック・ギャラガーさんのコラムへのリンクもこちらにあります。


宿命 -2014年3月3日 月船書林


*月船書林 管理人様
今回リンクをはらせて頂く際、コメント欄からその旨をご連絡しようとしたのですが、私の持っている通信手段(PCとスマホ)だとどうしても文字化けしてしまってメッセージをお送りすることができませんでした。
当ブログはコメント欄を設置しておりませんので、もし不都合がございましたら私のツイッターアカウントか、月船書林様の記事のコメント欄にてお知らせ頂ければと存じます。
申し訳ございませんが宜しくお願い申し上げます。
とらもも拝






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ギャラガーさんとその文章についてはあれこれ言える程知らないので置いておくけど、欧米らしい価値観に基いてるなとは思う。
トリプルアクセル(3A)だけを考えると分かりにくいが、真央選手はスケーティング技術を全て一から再構築するという、普通なら無謀とされることを約4年がかりで断行した。
しかし果たしてそれは、五輪金メダルだけを目標にした人がやる事だろうか。



真央選手は「バンクーバーでもし自分が全てやりきっていたら、銀でも凄く嬉しかったと思う。最終的には金メダルが取れなかった事よりも、ベストの演技が出来なかった事が悔しかったのだなと思った」と自己分析している。
ジャンプの技術が狂い始めているのを知りながら騙し騙し乗り切るしかなかった(驚くべき事に当時の彼女には技術的なアドバイスをする指導者がおらず、事実上一人で練習していた)状況では余計に悔いが残ったと思う。
ギャラガーさんと私の考え方の違いは(あくまで私は素人考えだが)、「果たして真央選手のソチでの一番の目標は金メダルだったのだろうか?」ということだ。


真央選手だって馬鹿ではないのだから、今の採点傾向では3Aが割に合わない事は重々承知だろう。彼女はただ自分が目指す(ジャンプを含めた)「スケート」を手に入れたいとシンプルに考えていただけではないか。シンプルだからこそ、譲れなかったのではないか。それこそがフィギュアスケートなのだから。
そして、高橋大輔選手が自身にとってのクワド(四回転)について以前「自分の目指す最高の演技には四回転が入っている」と述べて、クワド不遇の時代にも、怪我の後成功率が下がっても決して外そうとしなかったのと同じように、真央選手も彼女の目指す最高の演技には3Aが入っていると思うからこそ飛び続けただけなのではないか。
それは勝ち負けやメダル云々という次元を超えた、アスリートとしてのプライド(血と置き換えてもいいと思う)なのだと私は考えている。
真央選手にしてもメダルだけを考えたら他選手と同じように2Aだけにして3-3を磨いた方が早いし確実だろう。そうすればもっと楽に勝てることは真央選手だって承知の筈だ。そして更に女子で3Aは真央選手にしか跳べない(大庭雅選手も今季から挑戦を始めているがここ数年試合で成功させているのは真央選手のみ)技だという自負もあっただろう。会見で話していたように「伊藤みどりさんの後を継ぐ(女子3Aの火を消さない)」という気持ちもあったと思う。
私には、ギャラガーさんの言っていることは(メダルを取ろうと思えば正論なのだが)伊東委員長の以前の「3Aにこだわり過ぎ」発言とあまり変わらないように感じられる。そして、私は全くフェミニストではないけど、無意識のうちに男子と女子を分けて考えているような気がしてきてしまうのだ。真央選手を男子に、3Aを4回転(クワド)に置き換えたらどうなる?と。


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例えば高橋選手に「成功率が低いんだからクワドは諦めるべき」と言うだろうか?そして高橋選手はそれを受け入れるか?
今は男子は皆が4回転を入れるので女子の3Aとは位置づけが違うとはいえ、クワドがリスクでしかなかったバンクーバー五輪の時期でもそんなことを言う人はいなかった(以前ブログにも書いたが)。そして高橋選手も、先に挙げた発言の通りクワドを外したことは一度もなかった。高橋選手だって金メダルの強力な候補だったのに。


「割に合わないことをしてムザムザとメダルを逃すなんて」的な論調は、真央選手が金メダルに値する選手だと評価しているからこそだというのは私にもわかる。でも高難度ジャンプへの挑戦を男子は否定せず真央選手には「やめたら」的に言うのはダブルスタンダードというか、男子と女子で言ってることが違いませんか?といつも思うのだ。そして真央選手はそういう潜在的な、無意識な差別とも戦ってきたのだと。


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真央選手はいつからか「優勝したい」と言わなくなった。一貫して「自分のできることを試合できちんと出したい」「目指すレベルでやり遂げたい」とだけ言うようになった。そして「試合によって出方が違うので、得点はあまり気にしていません」とも。
まず選手にそういう事を言わせるのは競技としてどうかというのはあるが、彼女はある時から採点側の「意思」で順位や得点がどうにでもなる世界と悟り、期待するのを辞めたのだと思う。図らずもそういう背景も、今回の演技が「伝説」となる伏線になっていたと感じる。アスリートなら「勝ちたい」と思うのは当然の生理だが、何をもって「勝ち」とするかの視点が変わったのだ。


そうは言ってもやはり、出来たと感じるものを不完全と言われ続けるのは傷ついたろうしストレスにもなったと思うが、そういう事をされればされるほど、採点や批評を離れて純粋に自分の目指す目標を達成したいという欲求が純化されていったのだと思う。


私たちはソチ五輪のフリーで真央選手が変わったかのように感じるが、多分真央選手はずっとああいう姿で試合を、フィギュアスケートをしていたのだと思う。もう何年も前から。
それがあの日、一番分かり易い形で現れた。とうとう「目指すレベルでやり遂げた」瞬間が五輪という一番注目される舞台であり、あのショートプログラム(SP)があった上でという流れの中だったということで、見る側にとって突出したものになっただけなのではとも思えてくる。


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とりとめなくなってしまったけれど、ギャラガーさん(や伊東委員長)のような視点や評価基準を持っていると、真央選手の挑戦、試合への臨み方は理解されにくいだろうなという気がする。でも私はあのフリーが全ての人に強烈な印象を残したのは、メダルや順位という色気や欲を超えた、純粋なスポーツ、フィギュアスケートそのものの姿だったからだと確信している。


今回の真央選手の最低と最高を見せた五輪で、他のスケーター達がキャリアに拘わらず、現役か引退後かの立場を問わず、SP後には異例の励ましを、フリーでは惜しみない賞賛を彼女に送った。それはそういう世界を知った上で自らの「スケート」を貫く真央選手の挑戦の価値を、選手心理として遺伝子レベルで理解しているからだろうと思う。


世界中の多くの名スケーター達が浅田真央選手に暖かい言葉をかける『翻訳文あり』 #MaoFight
 -NAVERまとめ 2014年02月22日



ジョニー・ウィアーさんが「僕たちは今日、フィギュアを見た。いい選手はたくさんいるけれど、一番美しいのは真央」、タラ・リピンスキーさんが「メダルはないわ。でも、チャンピオンは真央なのよ」と解説したそうだが、それはそういう事だと思う。彼女が世界のスケーターから尊敬されるのは、その精神を、それを競技生活で貫くことの難しさと気高さを骨の随まで理解できるからなんだろうと思う。


あの演技をした真央選手にメダル云々という基準で批評するのは、私には無粋に思える。あれだけ期待されてメダルを取れないとは、と不満を持つ人はいるだろうし、いろんな考え方があることは否定しない。でも、これまで10年近く真央選手を見てきたファンとしては、勿論金メダルを取ってほしいという気持ちもあったけれど、どこか妥協して金メダリストとなるのと、あのフリーを実現できるがメダルはない、どちらを選ぶかと言われたら迷いなく後者なのだ。
勿論SP・フリーともに神演技ができて完全勝利ならば言うことなかっただろう。しかし真央選手がバンクーバー五輪後からずっと、こつこつと努力を重ねて目指したことが「全種類のジャンプを試合で入れられるようになること、基本に忠実なスケーティング、バレエを取り入れた指先まで神経の行き届いた表現、全てを兼ね備えた演技を試合で実現する」と言うことならば、その達成を喜びたい。彼女があそこまで曇りなく、自分の演技に満足を表明する事なんてほぼなかったのだから。
彼女は「本当の喜びを感じることが出来た」と言ったのだ。

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私の考えはファンの贔屓目かもしれないけど、今回のソチ五輪はそういう意味では喜びしか残ってない。真央選手があの演技を出来た事、そしてそれを目撃出来た事を心から嬉しく思っている。


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Mao Asada 2014 Sochi Olympics FS -Piano Concerto No.2



<参考リンク>
宿命 -2014年3月3日 月船書林
[ソチ五輪]浅田真央が史上最高の演技でおまえら号泣!!!伝説のラストダンス 実況まとめ -スケ速


<関連コラム>
浅田真央は「トリプルアクセルにこだわり過ぎ」 なのか -伊東スケート連盟委員長の発言に思う  2012年4月4日
Japan Timesの記事 -浅田匡子さん追悼  2011年12月19日

by toramomo0926 | 2014-08-21 14:46 | フィギュアスケート


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