取材記者のあり方にも疑問
取材記者のあり方にも疑問_b0038294_85919100.jpg亀田興毅選手の会見で一部のレポーターの質問が「(厳しすぎて)不愉快」という声があがってきているようだ。
私としてはあの会見については、厳しすぎたとは思わない。ただ私がヘンだなあと思ったのは、同じようなトーンの質問を金平会長や、一度目の会見に現れた史郎氏にはなぜしなかったのか、ということだ。



今回の会見は、確かにいきなり矢面に立たされた亀田興毅にとっては恐怖心もあったと思うし不愉快な思い、理不尽だという思いもしたと思う。
激しいフラッシュを絶え間なく浴びながらもじっと遠くを見据えて話をするさまを見て、彼の精神的ダメージが心配になる程というか、自身がやったことの結果とはいえ少し気の毒になるくらいだった。
意味のない質問や何を言わせたいかがミエミエの質問、或いは単に「責められている興毅」という映像を撮りたいゆえというような責め立て方というのもあったとは思う。決して会見でのレポーター等の態度は全て肯定はできないが、ある意味会見の質問というのはこのようにあるべきだと思った面もある。

それは、最近のレポーターや政治家についている記者について、そんなんで存在意味はあるのか、レコーダーだけ置いておいても同じなのでは?と思うことが多かったからだ。
ここ数年、記者やレポーターは取材対象の意見やコメントをただ話させるだけ、たれ流すだけで、私のような素人がそのコメントを一度聞いただけで疑問に思うような矛盾などについても全く質問しようとしない姿勢にフラストレーションが溜まることが多かったように思う。
例えば今回の件以外でも、何かのトピックを取り上げて「○○の件について、××氏は~と述べました」というだけの素材を持ち帰り、それを受けてTV等でコメンテーター達が「それではちょっとこの点について疑問が残りますね」という風に述べて、そのまま立ち消えになってしまう。それで取材と言えるのだろうか。
このごろは記者と取材対象の関係が何だか「形式美」みたいにも見えてきて、裏の「なあなあ」加減というか、「あんまりキビしいこと聞きませんからまたお話して下さいね」という感じが透けて見えるようで不快に思うことが多かった。
そういう意味では今回のやりとりについては、見方によっては健全に見えるような気もする。

でもその厳しさは「基本姿勢」としてあるべきで、相手を選んで出したり引っ込めたりするようなものではないはずだ。
興毅にはあんなに元気一杯、それこそ眉をひそめる視聴者が出るくらいガンガン攻め立てられるのに、前日の金平会長の会見や、一度目の会見に出席した亀田史郎氏に対しては全く大人しかったのがどうも納得がいかない。

誰もが「なんで?」と思った「史郎氏会見欠席」という事態についても「言い訳をしない」というはっきりしないコメント一本槍、結局反則行為を指示したことを認めたものの、煮え切らない形で押し切らせてしまったというのはどういうことなのか。
今回の件がここまで大きくなってしまった原因は世界戦のセコンドを務めた史郎氏が反則を指示したとされたことが大きく、更に一度目の会見で「反則指示はしていないが処分は受け入れる」等矛盾が多いことばかり言っていたのにその場で突っ込むこともせず大人しく聞いて帰って来て、新聞で大叩きするというのは本当に変だった。
「あれで謝罪といえるのか」と各紙書きたてていたが、その場で同じ事を、興毅にしたのと同じようなしつこさでで質問できなかったのは何故なのか。

今回TBSをはじめマスコミ、主にTVメディアのありかたについても多く論じられているが、映像や音声にあまり出ない部分、取材の基となる記者やレポーターのあり方についても同じように疑問符がなげかけられてしかるべきだと私は思うし、記者、ジャーナリストを名乗るからには相手によらず自分や国民の疑問や感じた矛盾を正面から相手にぶつけてほしい。その場でその矛盾に気付けていないようなら問題外だが。

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by toramomo0926 | 2007-10-28 09:46 | スポーツ


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