解答のない問題-臓器移植法改正
b0038294_20475951.jpgこの問題は、この問題だけは「こうあるべきである」ときっぱりと答えられる人は誰もいないのではないだろうか。
今回の可決について「充分に議論が尽くされていない」という意見もあるが、長い時間をかけたとしても結論が出るかどうかわからない。どれだけやれば「充分」なのかも誰にも決められない。だからといって早急に決めて良い訳では勿論ないが、それくらいデリケートな問題だ。立場が変われば何を優先させたいかが180度変わる。明確な「解答」というのは永遠に出ないと思う。

しかし、現在臓器移植を求めている小さな命が海外で移植手術をするための莫大な資金を集めている間に力尽きてしまったり、海外で「受け入れてほしければ前金で4億円払え」というような「日本人レート」といってもいいような法外な手術代を吹っかけられたり(ドイツ人の患者が同様の手術を同じ病院で受けた場合は4,000万円弱だったらしい)するようなひどい事態が起こっているだけに、今新しい基準をつくることはやはり必要だったと私は思っている。

ただ、決の採り方についてはこの決め方でよかったのか、という疑問は残る。
「議論が尽くされていない」という意見について、「投票・採決の方法について議論が尽くされていない」とするならば私は賛成である。




今回最初に投票が行われたA案で過半数に達したため、残りのB案~D案について投票はされなかったというのが私の中でずっと引っかかっている。
投票の方法は「A案~D案の4案の中で、あなたはどれに賛成ですか?」ではなく、ある1案だけを取り出して「あなたはこの案に賛成?反対?」という投票をA案~D案まで順番に過半数を超える案が出るまでやる、というやり方だった。
「A~Dどれがいい?」方式では票が割れてしまい、過半数を超える可能性はほぼゼロだろうという見通しからこのような投票方法になったと推測するが、
極端な話、今回の決の採り方は、内容はどうであれ最初に投票がなされる案が可決される可能性がかなり高まるやり方ではないだろうか?と思ったのである。
例えばもし最初にB案について投票がなされていたら、今可決していたのはB案だったのではないか? ということだ。

私が気になっているのは、この投票方法の場合「反対」に投ずることは一体どういう立場を選択することになるのか、ということである。
A案をどうするかという投票の場合、問題になるのはA案だけで、他の案には投票できない。その中で賛成か反対かを選択せねばならない。ということは、反対と投票することは、便宜的に「現行法でOK」という判断を選択するという意味にはならないのだろうか?
もし「A案か現行法のどちらか」の選択をするとすれば、たとえ投票者が実際はD案を支持していたとしても、少なくとも『現行法には多少なりとも問題がある』と考えている場合は、A案賛成に投票するだろう。そうなるとA案が可決される可能性はかなり高まるのではないか。

私はあまり論理的な頭を持ち合わせていないし、今回の投票のルールについて詳しく知っている訳ではないので全くとんちんかんな指摘なのかもかもしれないけれど、もし今述べた私の考えが間違っていなければ、4つの案のうちA案がA案と名づけられ、投票方法が決まった時点で、A案の可決はある意味決まっていたとも言える。もしもここまで考えた上でA案を可決させるべくセッティングした人がいたのならすごいと思う。これに作為があったとはさすがに考えたくないけれど。

もしA案が過半数を超えても、D案まで全て投票がなされた上で、過半数越えかつ一番得票数の多かった案が可決されていたのなら私も納得したと思う。けれどA案が過半数を超えた時点で投票そのものを止めてしまったことで、すごく中途半端な決まり方をしてしまったような気持ちがどうしても消えない。全て投票してみたら、もしかしたら(例えば)C案が過半数越えの中でも一番得票が多かったかもしれない。その場合衆議院で一番同意を得られたのはC案ということにはならないのだろうか。その場合可決すべきはC案なのではないだろうか。

どのような結果が出ようがとりあえず全部の案について投票を行い、過半数越えが複数出た場合はその案に絞って最終決定として再投票してもよかったのではないだろうか。
いつもは、個人の意見を問う「投票」というものを行うにしては不必要なほどに、そして不自然なほどに「党内の意思の統一」をはかり、根回しに懸命な与党の皆様も、「個人の死生観に関わる問題」として投票は個人の自由意志に任せたと聞く。それほど大事な、また特殊なものとされていた今回の投票について、最後の最後にものすごく杜撰な、乱暴なやり方をしてしまったような気がしてならない。

「脳死は人の死か」という問題は自分の中で未だに結論は出ていない。
脳死状態とされている方をご家族に持つ方にとっては落胆する可決内容となり、臓器移植を待ち望むご家族には大きな一歩となった。彼ら双方がハッピーという法案、または方法が生まれるのはかなり難しいことが予想されるが、どの命も少しでも明るい方向に向かうことを心から祈っている。

私の上司は医学部の教員だが、以前こんなことを言っていた。
「今の学生はずっと受験勉強をやってきて、全ての問いには必ず『100点満点の解答』があると思っている。
でも実際生活したり、医療に携わっていると、そうじゃないんです。解答がないもの、または『わからない』というのが答えだ、という物事もものすごく沢山あるんです。僕は彼らにそういうものの存在を知ってもらいたいし、『わからない』ものについてしっかり向き合ってもらいたいんです」

この問題について考えてもきっとすっきりした答えは出ないだろう。しかし、このことについて「わからないから」と諦めたり、考えるのを止めるのではなくて、わからなくても考え続けることが大事なのだろうと思う。

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2009年6月18日、日本における臓器移植法の改正についての可決が衆議院でなされた。今回の改正は現行の法律から制限をどう変えるかがかなり注目された。倫理的な問題や「脳死を人の死とするか」という非常にデリケートな問題ゆえに、改正案はA案~D案の4つの案が出され(図参照)、A案から順番に投票(記名)を行い、過半数に達した時点でその法案に決める、という方法がとられた。4案全てが過半数に達さなかった場合は、改正案自体が廃案になることになっていた。
結果、「脳死は人の死」とし、実質的には臓器提供の年齢制限なし(本人の意思表示、もしくはそれが不明な場合は家族の承諾があることが前提)というA案が可決された。
by toramomo0926 | 2009-06-20 21:09 | 政治


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