岩崎夏海氏コラム -全日本観戦
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12月にここで紹介した、「もしドラ」の岩崎夏海さんの日経ビジネスオンラインでのコラム「なぜ浅田真央は僕の胸を打つのか」が更新されていました。
今回は全日本観戦記となっています。

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浅田真央さんは「一発勝負」に臨み「大きな山を越えた」と言った /岩崎夏海 /日経ビジネスオンライン 2011年2月8日



今回は世界選手権出場権がかかった全日本選手権を観戦しての感想が書かれています。
しかし、彼の着眼点は真央選手の「言語感覚」と「佇まい」について。


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浅田真央さんは「一発勝負」に臨み「大きな山を越えた」と言った

 2010年の暮れ、ぼくは全日本フィギュアスケート選手権大会(以下「全日本選手権」)を取材した。場所は長野県にある長野市若里多目的スポーツアリーナ、通称「ビッグハット」。JR長野駅からはバスで10分ほどのところにある、1998年に行われた長野オリンピックではアイスホッケーの会場として使われた場所だ。

 ぼくが長野入りしたのは、開会式が行われた12月23日だった。この日まで、全日本選手権は世間の大きな注目を集めていた。というのも、昨シーズンのオリンピック銀メダリストで、世界選手権の優勝者でもある浅田真央さんが、今シーズンここまで芳しい成績を残すことができないでいたからだ。このままでは、来年(2011年)3月に控えた世界選手権に、連覇はおろか出場することさえ危ぶまれていた。出場を果たすためには、この大会で優秀な成績を残すことが求められていたのだが、それができるか否かが、この大会の大きな焦点となっていた。


全日本選手権の会場となった長野県の通称「ビッグハット」。長野オリンピックの舞台にもなった。 しかしながら、ぼくの取材はそれとは少し別のところに焦点を当てていた。ぼくの興味は、そうした注目を浴びる中で真央さんが、一体どのように振る舞い、またどのように演技に臨むのか、あるいはそこでどのような表情を見せ、どのようなことを言うのか――といったところにあったのである。

 前回のコラムでも書いたのだが、ぼくが浅田真央さんを取材することの目的は、彼女の競技の成績やライバルとの関係などを見るのではなく、「なぜ彼女はこれほど多くの人々を魅了するのか」ということについて、その理由を探ることにあった。だから、彼女が世界選手権へ行くかどうかということについては、もちろん行ってもらいたいという気持ちはあるものの、たとえ行けなかったとしても、取材に対するスタンスには何ら変わるところがなかったのだ。

 また、それとは別にもう一つ、彼女が世界選手権に行けるかどうかということについて、焦点を当てようとは思わない理由があった。それは、これも前回のコラムで書いたのだが、11月にパリでのグランプリ大会を取材した折、すでにNHK杯時の不調からは脱し回復の兆しを見せていた真央さんが、この大会ではさらに調子を上げてくるだろうことは想像に難くなかったので、素晴らしい演技を見られるだろうということについて、ワクワクした楽しみな気持ちがあったのである。それが、世界選手権に行けるかどうかということよりも大きかったので、結果についてはあまり注目していなかったのだ。

真央さんには、凛とした「けしきの良さ」があった
 そうしてこの日、ビッグハットに到着したぼくは、夕方から始まった真央さんの非公式練習を見学した。すると、そこで強く印象に残ったことがあった。それは、練習に臨んだ真央さんの姿が、パリ大会に比べてより一層、「けしきの良さ」を感じさせるものであったということだ。

 ぼくは、古美術鑑定家の中島誠之助さんが、優れた一品に接した際に好んで使う「けしきが良い」という言葉が好きで、古美術の凛とした佇まいをこれ以上なくよく表していると思うのだが、この日の真央さんからも、そんな古美術のような、凛とした美しさが感じられた。
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 真央さんの練習は本当に独特で、これは取材陣だけで独占しておくのはもったいないといつも思うのだが、凛とした風格と、泰然自若とした静けさというものが同居してて、見ていて飽きることがない。始まりは、いつもその日の調子をチェックするかのようにルーティンワークでリンクを何周か回るのだが、この間の真央さんは、まるで瞑想をしているかのような表情で、見ていて味わい深い。やがて身体が温まってくると、羽織っていた上着を脱ぎ、その日のテーマに取り組む。大会2日前のこの日は、ショートプログラムの演技を中心に、ジャンプの練習をくり返していた。

 今シーズン、ここまでの真央さんは、試合でずっとトリプルアクセルを成功させられないでいた。だから、それができるかどうかというのが真央さん自身の焦点ともなっているようで、この日は、特にジャンプの練習を念入りにくり返していた。また最後には、ショートプログラムの曲に合わせた演技の練習も行っていたのだが、そこでも軽く流すのではなく、本番さながらの真剣さで、ジャンプはもちろんスピンもステップも全力で取り組み、終わると汗だくになるほどであった。

 そうして練習が終わると、いつものように腰に手を当てたやれやれというポーズを見せながらも、リンクから降りると満面の笑顔をのぞかせていた。その様子から、この日の練習が充実したものであったことが窺われ、本番に向けてのぼくの楽しみは、ますますふくらんだのであった。

 練習後には、ビックハットの一階にある記者会見場で開会式が行われた。その様子も取材したのだが、これがまた実に興味深いものだった。というのも、そこに参加する選手たちが、皆和気藹々として仲が良く、楽しそうなのである。真央さんは、前年度の優勝者として男子の高橋大輔選手とともに最前列に座っていたのだが、終始ニコニコと笑顔を見せていた。

 特にこの日は、滑走順を決める際にとある選手が引いた「7」番の番号を、審判が誤って「1」番と読みあげるハプニングがあり、大いに盛りあがった。「1」と告げられた選手は、(プレッシャーがかかるその順番はできれば避けたかったため)「えっ!」と悲壮な声をあげたのだが、すぐに間違いに気づいた審判から「ごめんなさい、7番でした」と訂正されると、今度は気の抜けたような「ええっ?」という声を漏らした。そのやり取りがおかしかったために、選手たちは爆笑の渦に包み込まれたのだけれど、真央さんもやっぱり、みんなに混じって楽しそうに笑っていた。
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 そんなふうに、リンクを降りた真央さんは、笑顔を見せている場合が多かった。しかしながら、彼女がそういう雰囲気に完全に打ち解けて、心から笑っているわけでもないところが、また興味深く感じられた。彼女はいつも、一見にこやかでリラックスしているように見えるのだけれど、しかしよくよく見ていると、そういうハプニングに際しても、心から笑うというよりは、その喧噪を少し遠くから興味深そうに眺めているという感じなのである。そうして、その笑顔の背後には、いつも競技者としての緊張感を伏流させているのが感じられる。彼女の背筋は常に伸び、瞳の奥には勝負に賭ける情熱の青い炎が灯り続けているのだ。

 それが、浅田真央という人間の雰囲気を独特にしているところがあった。開会式後、女子選手の記者会見があったのだけれど、そこではこれまでの開会式の雰囲気とは打って変わって、シビアな質問が飛び交う緊張感の漲る場となった。しかしそうした変化に際しても真央さんは、さっきまでのにこやかな表情から真剣な表情へとシームレスに移行し、そこでも背筋をしゃんと伸ばした姿勢と、青い炎を灯した瞳を保ち続けていた。
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 そうした様子を見ていると、彼女においてはあらゆる瞬間が勝負の場――あるいはそれへの準備の場なのだということが窺われた。かつて、「本番は日常、日常は本番」と言った武道家がいて、真に武術を極めようとするならば、本番は日常から始めるべき――いや、本番以外の日常の中にこそあると説いたのだが、記者会見に臨む真央さんは、それをまさに地でいくかのようだった。


浅田真央さんの「言語感覚」
 ところで、この記者会見でぼくが注目したのは、真央さんが、意識してかどうかは分からないが、ある一つの言葉をくり返していたことだ。

 その言葉とは「一発勝負」。

 彼女は、この記者会見以前から(パリのグランプリが終わった直後くらいから)この言葉を用いるようになり、それをここでも使い続けていた。
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 「一発勝負」とは、「世界選手権に出場するためには、この試合でいい成績を残すしかない」という意味である。それ以前の大会で芳しい成績をあげることができなかった彼女には、この全日本選手権しか、世界選手権への切符を手にするチャンスが残されていなかった。そうした状況を端的に表そうとして、彼女は「一発勝負」というフレーズを用いるようになり、それをこの日もくり返していたのだ。

 そのことを、ぼくはとても面白いと思った。これは以前から感じていたことなのだが、真央さんには独特の「言語感覚」というものがあるのである。

 それを最初に意識したのは、バンクーバーオリンピックの試合直後のインタビューで、インタビュアーに「(フリー競技は)どんな4分間でしたか?」を尋ねられた際、「長かったというか、あっという間でした」と答えた時だった。
この、明らかに矛盾する語を二つ並べることのできる言語感覚は、すごいと思ったのだ。それは、えてして言語感覚の拙さと見られがちなのだけれど、真実はその逆で、言語感覚が鋭くないと、なかなかこうは言えないのである。

 というのも、人間の意識や思考というものは、本質的には無秩序に錯綜しており、きれいに整頓されてない。取り分け時間の感覚については、長いと感じる一方で短くも感じるという矛盾した印象を抱くことは、誰にでも経験のあることだろう。

 しかしながら人間は、一方ではそういう矛盾を好まないところもある。そういうふうに思考が整理されていない状態だと、事象をとらえにくいため、不安に陥り、落ち着かないからだ。だから多くの人は、安心を得るために矛盾していることもあえて無理やり整理してみたり、あるいはカテゴライズしたりレッテルを貼ったりして、秩序を持たせようとする。それゆえ、本質的なものを見失ってしまったり、真実から遠ざかってしまう場合も少なくないのだ。

 ところが、言語感覚の優れた人たちというのは、言葉を人並み以上に重視するため、事象をなるべく正確に表現しようとするところがある。そうして、たとえ矛盾した意識を抱え、不安な状態に陥ったとしても、それをそのまま伝えようとするから、矛盾した物言いになってしまうのだ。しかしそれゆえ、物事の本質に鋭く迫り、真実から遠ざからずにすむという利点もある。

 だからぼくは、真央さんがあの場面で矛盾する言葉を用いたのは、彼女の言語感覚が鋭かったからではないかと思ったのだ。自分の矛盾した気持ちをなるべく正確に伝えようとして、ああいう物言いになった。

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この時の、演技終了直後でまだ気持ちの整理ができない状態で真摯に答えようとする真央選手の姿勢と、美しい澄んだ瞳に胸が痛んだものでした。


 それはまた、ぼくに長嶋茂雄さんを想起させるものでもあった。長嶋さんも、奇妙な英語混じりの日本語を使う人として、一般的には言語感覚の拙い人だと見られがちなのだが、ぼくの見方は全く逆で、彼ほど言語感覚の鋭い人は、なかなかいないと思っている。

 長嶋さんは、多くの人から拙い言語感覚の持ち主だと思われる一方で、さまざまな事象をフレーズ化することの名人としても知られている。例えば、読売ジャイアンツの監督として中日ドラゴンズと熾烈なペナントレース争いをくり広げた1996年に、大差をつけられたところから大逆転に至ったドラマチックな道のりを表現するフレーズとして、「メークドラマ」という言葉を生み出した。また、その雌雄を決する最終戦を「国民的行事」と呼び称し、国民全員が注目するようなビッグイベントに仕立てあげもした。

 この他にも、「いわゆる一つの」という口癖があったり、「バーン」や「ダーッ」といった擬音が多かったりと、長嶋さんの言葉についての逸話を語り始めるときりがないのだが、そうした彼のありようが、多くの人々を強くインスパイアしてきたということは、議論を待たないところだろう。また、それゆえ彼が言語について特殊な感覚の持ち主であるというのも、やっぱり異論のないところだと思う。

 そしてぼくは、その希有な言語感覚は拙さによるものではなく、むしろ鋭いことの証としてとらえていたから、以前から注目していたのだが、そんな長嶋さんに似たところを、真央さんにも感じるのである。特に今回は、真央さんが好んで使い続けた「一発勝負」というフレーズに、それを感じた。


「一発勝負」の本当の意味
 実はこの言葉は、語義を厳密にするならば、誤用ともいえるのだ。


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次の記事に感想を書きます。

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<参考リンク>
浅田真央さんは「一発勝負」に臨み「大きな山を越えた」と言った /岩崎夏海 /日経ビジネスオンライン 2011年2月8日


<関連コラム>
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by toramomo0926 | 2011-02-08 21:59 | フィギュアスケート


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